企ては全て挫かれるだろう。神性という言葉の意味を考える必要がある。重苦しい力が、我々を支配している。言い換えれば悲歌であり、喜劇である。神経症的社会や氾濫する日常的なメディア、圧倒的な力と偽りのイメージが、我々の生活を根本的に混乱させている。
 そしてそれらは我々を包む本質的な闇への意識と、そのなかに見出されるべき秘められた精神の進化、その萌芽とは全く無縁のものだ。そのことに気づく瞬間こそが、真の創造である。そこに言葉はない。イメージもない。世界であり、自身であり得る瞬間(時)である。
 あるいは、それはビジョン(視界)である。創造という行為は、現出したその様相をただ「誠実さ」をもって再現することを目的とするものである。現実の世界に対峙しうるものとして発すべき問いがあるとすれば、芸術は、この一点においてのみ、その存在意義を有する。
 世界においても一個人においても、精神的な進化のプロセスには、常に本質的な沈黙が介在している。無知によって増殖をつづける饒舌なメディアと社会にいかに寛容であろうとも、我々はノイズに完全に身を委ねることはできない。詩というものに一点の希望が残されているとすれば、それは常に、個々の全人格的な「誠実さ」が集約される瞬間である。時間とは世界の横軸であり、意識としての神性は常にこれを逸脱する。自我と外界とを表象しながら、水平と垂直の交わる一点。



(2003. 4)